【ボクシング】坂間叶夢 次世代の井上尚弥と称された天才ボクサーの死去。日本ボクシング界の闇に迫る
【ボクシング】坂間叶夢 次世代の井上尚弥と称された天才ボクサーの死去
日本ボクシング界の闇に迫る
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本日もボクシングニュースをお届けします。
ボクシング「次世代の井上尚弥」と称されながら、
昨年、弱冠20歳でこの世を去った天才ボクサーがいる。その名は坂間叶夢さん。
叶夢さんが亡くなった際の所属ジムの「疑問が残る対応」と、ボクシング界に根付く隠蔽体質について、父・一平さんの証言を元に迫っていく
◆「会長は事あるごとにカネを求めてきた」
ケガを負った中での減量に苦しむ叶夢さんの姿を目の当たりにしていた一平さんは、これ以上、強行出場にこだわり無理をさせることは選手生命にもかかわると感じ、ワールドスポーツ会長のX氏に、このように直訴した。 「3月15日の22時30分過ぎ、私はX氏にLINEで〈やはり体重落ちないです。引退させます。〉とメッセージを送信しました。すると、X氏は、音声通話をかけてきて、『ジムでミットを打って落としましょう』と提案してきたのです。 実は、それ以前からもX氏の言動に不信感を持つようになっていました。『3月の試合のパンフレットの広告スポンサーを探している』『選手の入場時に使用する応援のぼり30本の代金30万円分を折半してほしい』など、X氏が私に連絡してくる時は、叶夢のことではなく、金の話ばかりだったからです。そもそもワールドスポーツの人間たちは、誰も叶夢の減量や体調管理の面倒を見ていなかった。あいつがどれだけ苦しんでいるのか知らないのに、何を根拠に『落とせる』と言っているのか、怒りが湧いてきました」 当時、叶夢さんは実家から徒歩圏内の場所にあるマンションで一人暮らしをしていた。一平さんが叶夢さんと最後に会ったのは、昨年3月15日の夜。一平さんは、あの日、極限状態にあった叶夢さんを自宅マンションに帰してしまったこと、事前に試合をキャンセルできずに、ワールドスポーツ側に押し切られるかたちになってしまったことを強く後悔している。 「叶夢は本当に一途なやつで、誰よりも負けず嫌いで、クソ真面目な子どもでした。私や妻にも一度も弱音を吐いたことなんてありません。だから、自分から『試合をキャンセルしてほしい』と切り出すことは絶対になかった。そういう叶夢の性格をワールドスポーツの人間が知らなかったはずはありません。 つまり、本人が口にしない以上、状況的には試合中止の判断は、ワールドスポーツの会長であるX氏にしかできなかった。なぜX氏は、強行出場にこだわり続け、試合をキャンセルするという判断をしなかったのか。その点については、大きな疑問であると同時に、許せないという気持ちを抱いています」 叶夢さんは、昨年3月16日に忽然と姿を消すことになる――。 翌17日の13時過ぎに、一平さんは、富津警察署内の霊安室でようやく叶夢さんとの対面を果たす。 「警察署の担当者も『鋸山の断崖絶壁から飛び降りて、普通は、こんなにきれいな状態で発見されることはありませんよ』と、びっくりしていた。叶夢の遺体には、ほとんど損傷はありませんでした。それだけは家族にとって、唯一の救いになりました」 一平さんは、叶夢さんの死後のワールドスポ―ツの不可解な対応についても憤慨している。昨年4月18日、一平さんは、妻の圭子さんとともに、国内の試合を統轄するJBCのヒアリングに協力したが、そこでX氏は、JBC担当者に対して嘘の報告をしていたことが発覚したという。 「試合前日の17日に予定されていた計量に姿を現さなかった叶夢のことを心配したJBC担当者が確認したところ、X氏は『発熱のため試合をキャンセルしたい』と報告したというのです。この時すでに叶夢は行方不明になっていて、警察にも捜索願を出しています。私はその事実を少なくとも3月16日の13時過ぎにはX氏に伝えていますし、その日の15時ごろに、X氏はもぬけの殻となった叶夢の自宅マンションにも訪れています。 X氏は16日の夜に鋸山の現場付近にも来ましたが、その時も同伴したスタッフと談笑するなど、まったく緊迫感は感じられなかった。さらに私たち家族は現在に至るまで、叶夢の死因について隠してはいませんが、X氏は当初、メディアに対して『家族と連絡が取れない』などと言い、事実の公表を避けた。その後も叶夢が亡くなった事実を公式に発表することはなく、うやむやにしようとしているとしか思えないのです」
あれから1年3ヵ月以上が経過した。一平さんが現在の心境を語る。 「私たちがワールドスポーツ、さらにJBC、日本プロボクシング協会(注・国内の試合を統轄するJBCに対して、日本プロボクシング協会は国内のボクシングジムを統轄する)に要求したいのは、叶夢が極端な決断をするに至った真相を知りたいということだけです。なぜ、そこまで追い詰められていたのか、ワールドスポーツに落ち度はなかったのか……。 一方で、叶夢の死について、ボクシング界全体が真剣に向き合い、選手の安全管理について、考えるきっかけにしてほしいという気持ちもあります。2月に遠藤選手が失踪して、騒ぎになったことも聞いています。正直、ボクシング界は、叶夢の死から何も学んでいないと思いました。ボクシング界は、叶夢に起こった悲劇がまた繰り返されるのを黙って放置しているだけじゃないですか」 一平さんは、昨年5月に弁護士を通じてJBCに対して真相究明および再発防止の対策を求めた。しかし、いまだに具体的な進展は何ひとつないという。 「JBCおよび日本プロボクシング協会は、叶夢の死後、一貫して沈黙を続けています。叶夢の死から1年3ヵ月が経過しましたが、その沈黙が意味するものは、『ボクシング界の総意としては、X氏およびワールドスポーツ側にはまったく落ち度がなかった』ということなのでしょう。この件について本腰で動いてくれない限り、事態が進展しないことに、怒りとともに絶望感もあります。 それでも私たち家族は叶夢のためにも絶対に諦めません。坂間家として、これからも真実だけをお伝えし、ひとりでも多くの人に叶夢の件について知ってもらいたい。それが坂間家の総意です」 なぜ右拳と左足に深刻なケガを抱え、減量苦にあえいでいた叶夢さんの試合をキャンセルさせなかったのかX氏に代理人弁護士を通じて取材を申し込むと、以下のような回答が寄せられた。 「当ジムは’24年1月17日に医師の診察を受けた坂間選手から、試合出場に問題がない旨の報告を受けておりました。この事情に加え、坂間選手の右拳の状況、練習での様子、坂問選手自身の意向、試合日程、その他諸般の事情を総合的に考慮した上で試合出場を決定しております。 (左足の故障について)ジムは’24年3月8日には坂間選手から左足の痛みの申告を受けておりません。さらに、坂間選手は同日に他ジムの選手とのスパーリングを十分に行うこともできており、貴社の仰る状況(注・歩行もままならない状態)ではありませんでした」 同時に、JBCに虚偽の申告を行ったことは事実か、死から1年以上が経過しても坂間選手の死について公式な声明を出さないのはなぜかと質すと、以下のように回答した。 「JBCに対して坂間選手の発熱による棄権を伝えたのは’24年3月16日です。なお、この時点では坂間選手の自死は判明しておりませんでした。当ジムは、遺族の同意も得ていない状況で坂間選手の自死をメディアへ公表することが適切であるとは言い難いと判断し、メディアへの回答を控えました。(声明を出さない理由については)遺族の代理人弁護士との間で協議中であるため、回答は差し控えます。なお、坂間選手を想わない日は一日もなく、本件を風化させることを是としているものでもありません」 渋谷アクア法律事務所の菊地漠弁護士は、叶夢さんの死について十分な検証が行われていない現状に疑問を投げかける。 「遺族が二度と同様の事案が発生しないよう、再発防止を望んでいることからすると、事後的な検証はしっかりとなされるべきです。さらに、その結果、関係者に法的責任が認められた場合には当該関係者の処分などは当然ですが、たとえ法的責任が認められなかったとしても、再発防止の具体策について検討していく必要もあります。 それと同時に検証結果が出た際には、世間から隠蔽などを疑われないようにするために、組織内部にとどめるのではなく、検証結果を広く世間に公表していくことが再発防止のためには大切であると考えます」 JBCの担当者も「ムラ社会」のルールと良識との間で板挟みになり、複雑な心境を抱いている。 「遺族、ジムの双方からヒアリングを行い、報告書も提出してもらっている。叶夢さんの件は、リング上での死亡事故ではないため、なかなか難しい側面もあり、1年以上が経過してしまい、遺族の方々のことを思うと心苦しい気持ちはある。しかし、われわれとしては、このまま風化させてはいけない重大な問題だと認識している。JBCとしては、しかるべきタイミングで、必ず事実関係を明らかにするつもりです」 叶夢さんは、出場予定だった’24年3月18日の試合後に、いつも試合会場まで応援にかけつけてくれる幼馴染たちに、何か恩返しがしたいと、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに招待する計画を立てていたという。 将来を嘱望されていたボクサーの死を、「悲劇」という言葉だけで終わらせてはならない。
【Yahoo Newsより】
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