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【ボクシング】坂間楽叶、ネクスト井上尚弥と将来を嘱望された亡き兄叶夢の思いを胸にリングへ

2025.07.8

【ボクシング】坂間楽叶、ネクスト井上尚弥と将来を嘱望された亡き兄叶夢の思いを胸にリングへ

 

 

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「血のつながった兄弟だから当然かもしれませんが――それでも『ここまで似るか』というほど、パンチを出すタイミングや間合いが叶夢(かなむ)と瓜二つなんです」 4月10日に行われたプロテストに一発合格した坂間楽叶(さかまらくと)(16・ミニマム級)とのミット打ちを終え、実父の一平さん(46)はリングの上で目を細めた。 楽叶の兄、叶夢は’21年5月のプロデビュー後、無傷の9戦9勝(8KO)で世界ランク9位まで上り詰め、″ポスト井上尚弥″として将来を嘱望されていた。 ところが……試合2日前の’24年3月16日に失踪。鋸山(のこぎりやま)(千葉)の断崖絶壁から飛び降りた。度重なるケガと過酷な減量に苦しんだすえの自死――20歳という若さだった。楽叶が言う。 「17日の夕方に富津(ふっつ)警察署の霊安室で兄貴とようやく会えて、そのときに『楽叶、あとは任せたからな』と言われた気がしたんです。でも、兄貴はいったい自分に何を託したのか、すぐに答えは出ませんでした。猛勉強していい大学に入り、いい会社に就職して父ちゃん、母ちゃんを心配させるなってことなのか? しばらくの間、自問自答しました」 四十九日が過ぎた頃、楽叶は祭壇の側に置いてあったボクシング・グローブを手に取り、「ミット打ちをお願いします」と一平さんに頭を下げた。 「兄貴とは5歳離れているんですけど、誕生日には必ず『おめでとう』ってLINEをくれて、プレゼントを買ってくれた。カラオケにもよく連れて行ってもらいました。『楽、学校どうなの?』『楽しいよ』『それならよかった』とか、他愛もない会話なんですけど、本当に気にかけてくれていた。 そんな家族思いで、優しくて強い兄貴が見ていた景色、経験したことを自分の五感すべてで、体感したいと思ったんです。その時点で自分の腹は決まっていたんですけど、父ちゃん、母ちゃんにまた心配をかけることになるし、反対されることもわかっていたから、すぐに『ボクシングをやりたいです』とは言えなかった」 ミット打ちを始めて約1ヵ月後、楽叶は意を決して「ボクシング、やりたいです」と一平さんに告げた。 父のマジかって顔はいまも鮮明に覚えています 「そのときの父ちゃんのマジかって顔は、いまも鮮明に覚えています」 一平さんの心は確かに揺れていた。 「叶夢の自死について、所属していたジム、日本プロボクシング協会、そして日本ボクシングコミッションは公表も検証もしていません。この世界には不信感しかありません。だから、楽叶がボクシングを始めることには、私も妻も反対でした。ただ、楽叶の決意が生半可なものではないということも伝わっていました」 一平さんは高負荷のトレーニングを課すことで諦めさせようとした。 「小学校時代にボクシングに挫折して以降、運動といえば週1でヒップホップダンスを習っていた程度。階段ダッシュとかエアロバイクの全力漕ぎ10セットなどの心肺機能を高めるトレーニングは初めてでした。キツくてゲーゲー吐きました。でも、兄貴はもっと厳しいトレーニングをこなしていた。″兄貴はスゲェな!″って逆に気合が入った」(楽叶) 白旗をあげたのは一平さんだった。 「叶夢が亡くなって私も妻も奈落の底へ突き落とされ、生きた心地がしない毎日を過ごしていました。でも、こうして楽叶と汗を流していると前向きになれるというか、止まった時計の針が少しずつですが、進んでいる実感があるんです」 非業の死を遂げたボクサーの弟として、色眼鏡で見られるかもしれない。だが、本人は「そのプレッシャーをエネルギーに換えられたら」と前向きだ。 「自分が強くなり、勝利を積み重ねることで『あの坂間叶夢の弟か』とボクシングファンの方は思い出してくれるはずです。兄貴の強さを証明したい」 再び、父子の闘いのゴングが鳴った。

【Yahoo Newsより】

 

 

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