青少年の育成と国際交流を通して地域社会に貢献する」ことをモットーに、
2005年大阪府堺市南区泉北豊田にオープンした、フィリアボクシングジム。
子供からシニアまで、誰でも出来る!楽しめる!!
ジム二階では語学教室(英語・韓国語)も併設しております!

2016年11月15日、新たに二つ目のジム「フィリアボクシングジム松原天美」がオープン!




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~フィリアボクシングジムの設立趣旨をご説明致します~

フィリアボクシングジムの設立趣旨




 
近年この日本も凄惨な青少年犯罪あるいは想像を絶する

親の子にたいする虐待劇、その頻度の多さに唖然とする、

いわば終末感にまみえている風がある。ひとえにこれは

歴史、文化、その他あらゆる外的要因とされる対人間への

価値基準が大きな崩れを、いまここで絵空事ではなく、

生身の現実として、追体験しているあらわれであろうかと

おもわれる。つまり、かっては「人間」とは魂としての、

その人だけの唯一のらしさの鑑であったものが、

単なる形骸化したもくろと化し、生産性という脅迫暗示に

人は人を「役に立つ」記号の延長としかみなさなくなった

疎外感を目の当たりにするということでもある。

これは人間が破壊されている、という現在進行形のはなし

であり、このヒズミの代価はあまりにも高い。

人が人として「いきる」にはエネルギーがいる。

しかしそのエネルギーには二つの顔がある。殺し食い散らす

エネルギーと、ひとを生かすエネルギーだ。

サディズムとマゾヒズムという近代心理学の代表選手も、

要するに「イノチあれかし」と願う魂の根幹に巣食う寄生虫

なのだ。イノチの根っこをいつしか枯らしてしまうのだ。

ここではエネルギーは通い合わないのだ。

ただぶち込むのだ。鬼の形相をした主人と卑屈な奴隷との

おしきせのエネルギー交換があるのみ。エネルギーの共有

ではなくエネルギーの剥奪なのだ。言霊という言葉、

これは人が言葉を共有するときのエネルギー交換の熱気

でありイノチそのもの。エネルギーが互いに向き合い

すんなり行き来できるとき、われわれは「優しく」なれる。

恋しいと思うのだ。ひとりひとり各人各人の、

人生の「悲喜劇」という小宇宙をもつ。我々はまがまがしい

件の殺人鬼のエネルギー体と「イノチあれかし」の

エネルギー体の二つを同時にうちに秘め、

ただあがくのみなのだ。我々は人と関わろうとして逆に

益々大きな壁を自分の周りにおく。内へ内へとエネルギーは

浸潤し、暴発寸前の渋滞を起こしているのだ。

平和という美名の背後でその無惨な殺人鬼が

あらゆる「イノチのほむら」に抗して牙を研いでいるのだ。

一歳に満たないわが子を一週間アパートにとじこめ

餓死させた母親がいる。ボーイフレンドと遊びほうけて

いたらしい。その子は、生きたいと最後まであらん限りの

叫びを何者かに向けて、とりわけ母親に向けて発していたに

違いない。その子にだれも応えてやらなかった。

その子は死んだのだ。

われわれは実際こう言った断末魔の叫びをいつもどこかで

聞いているに違いない。ひきこもり、いじめ、家庭内暴力、

こどもへの虐待等、こう言った社会現象も、

先のいたいけない悶死の子供たちの惨劇と、根っこのところ

では共通項をもっているのだ。加害者と被害者の背景にある

のはエネルギーの行き来が途絶え「イノチ」の信号がオフ

だと言うこと、明かりのささない「闇」にあるということ

である。「イノチ」というカテゴリー、我々はこのことを、

現在のような輻輳たる社会のなかでより具体的な直接的な

意味合いで捉える必要がある。イノチといえば必然、

「愛」という言葉が浮かぶ。日本風に表現すると

「思いやり」。つまりイノチの顔が「愛」なんだと思う。

ひとを思いやるとは具体的には、何か?それには

三つの要素があるとしかいえまい。責任・忍耐・集中力。

責任はその意味するところ、人の問いかけに応える

RESPONDということ。忍耐とは信じて待つということ。

集中力とは無私の注ぎ。これらが三位一体のごとく不断に

われわれをつきあげていくならば、死の香りとしての

エネルギー遮断、病的でトンチンカンな

腐ったエゴイズムにくっすることはもはやありえない。

我々はまさに人になるのだ。

人格的にいい人になるのではなく、ただ「人」になるのだ。

 フィリアボクシングジムは、そう言った理念の一端を

担って結成されたグループであります。ボクシングを手段

として集中力を養い、責任のある人間となり、友や隣人の

ために耐え忍ぶ教養をみにつけ、ひろく世界にとびだし、

世に捨て去られたひと、弱きもの、世に容れられぬひとに

手をさしのべ、ひとえに義にかわいたひとたるべく

チャレンジする、つくりゆく集まりです。

とりわけ、非常に困難な「いじめ」「ひきこもり」「虐待」

対策のうち一等ハードな部分、引き受け作業に焦点をあて、

いくばくかの寄与ができればと祈念する次第です。



以上
フィリアボクシングジム会長 裵 一


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